「ゾクっと」するほどの蠢きを。まちの風景を変えるお祭り「NoMaps」
五十嵐 慎一郎
株式会社大人 代表取締役
NoMaps 総合プロデューサー

記事のハイライト
「何か勿体ないな」の想いから
NoMapsを札幌、北海道の「ハレの日」にしたい
言葉より先に、身体的な記憶を
「やべえ、街を丸ごと巻き込んでる」——2022年。会場を自転車で回りながら、思わずそう漏れたという。きっかけは東京の一夜だった。
「何か勿体ないな」の想いから
NoMapsに関わる最初のきっかけは?
最初はNoMapsのこと全然知らなかったんですよ。当時運営していた銀座のコワーキングスペース「the SNACK」で北海道のイベントをやったときに、NoMaps事務局長の廣瀬さんが来てて、その出会いから全てがスタートしてますね。
名刺を受け取ることから始まったとか?
次に廣瀬さんに出会ったときかな、いきなり「NoMapsプランニングパートナー」の名刺を渡されて、「ぜひ何かやりましょうよ」って言ってもらって(笑)。
で、「もらったから企画しよう」ってなって、2018年のNoMapsで、日替わりママのスナック企画をやりました。
当時は、まだ夜の部の交流もあまり活発ではなかった印象があったので北海道で活躍されている女性に声をかけてママをお願いして、北海道だし店名は「スナックゆき」にして。気がつけば、その後NoMaps実行委員というものに組み込まれていました。
関わってみて、どんな思いを抱きましたか?
NoMapsは立ち上げた時からベンチマークはサウス・バイ・サウス・ウェスト(SXSW)って聞いてたんです。だから、もっと音楽とかカルチャーも含めて大きい絵を想像してて。
でも僕が関わり始めた頃は、音楽の存在感が薄くなっていた印象があって。札幌のITスタートアップ色が強いぶん、全体がバラバラに見えたり小さくまとまっている瞬間もあった。「ポテンシャルを感じるぶん、なんか勿体ないな」って感じる部分がありました。
NoMapsを札幌、北海道の「ハレの日」にしたい
旗を振る側になったのは、いつですか?
コロナ禍で、2020年はオンライン中心だったと思います。2021年に少し落ち着いてきて、大人座——株式会社大人がやっていた隠れ家的カフェ&バーで、NoMapsの実行委員が集まって飲み会をやってたんですよ。
「再始動どうする?」って話してたときに、「旗振り役が必要だよね」ってなって。その場で「五十嵐くんどう?」って。そもそも当時NoMapsにプロデューサー職なんて役割はなかったし、何するのかわからない笑。結局、その場で引き受けましたけど。
引き受けたとき、どのような気持ちでしたか?
正直、「何するんすか?」ですよね。役割の輪郭がない。
でも、どんなNoMapsであるべきか?でいうと「スタートアップ×カルチャー×ローカル」という掛け算こそ、NoMapsのオリジナリティになるとは感じていたんですよ。そこに、自分が感じていた今の札幌や北海道の課題感みたいなこともぶつけてみようとしました。
具体的には、様々な業界やジャンル、地域で新たな挑戦をしている30〜40代が増えているのに、バラバラの動きになっているし、みんな多忙な中で、お互いへ関心や時間を割くことができない。
みんな少しでもハッピーな未来をつくりたくて、北海道で駆け回っているのに。なので、「年に一度は、せっかくだから一緒にやろう」って、多くの人に声をかけ始めたんです。
NoMapsを「祭り」と呼ぶようになった理由は?
プロデューサー1年目のNoMaps2022に『NoMapsハレの日宣言』ってしてるんですよね。
ずっと自分の中に「札幌の祭りってなんなんだろう」ってモヤモヤがあったんですよ。大学で東京に出て以降、いろんな地域のことを知るようになると、そのまちそのまちで、熱狂的なお祭りってあるじゃないですか。
その日には地元に帰らなきゃみたいな、もはやそのお祭りのために命かけてるひとがいたりして。前職で、地元浅草の三社祭の時に休めないのなら、会社辞めますって美人の先輩がいて。なかなかの衝撃ですよね。
札幌にも色々なイベントがあるけれど、そんなこと言う気合い入った人いないぞ!と。一朝一夕にそんなお祭りが生まれるわけないけど、でも世界中の全てのお祭りは、どこかで誰かが作ったわけじゃないですか。NoMapsがそんな“ハレの日”になる可能性だってあるんじゃない?って思って。

まちを巻き込むために、最初にやったことは?
当時のNoMapsは、割と札幌のITスタートアップのイベントっぽい空気感が強かったんですよね。でも所謂スタートアップイベントって、全国規模のB-dashやIVSがあって、そこを追いかけても意味ないんじゃないかと思ってました。
なので、スタートアップ界隈はもちろんですが、まちづくり、教育、食、といろんなジャンルで新しいチャレンジをしている方々に「せっかくだから一緒にやろう」って、ひたすら声をかけました。
「みんなどうせいっぱいイベントやってるなら、同じ週にやろうよ!」って。YEG(札幌商工会議所青年部)とかJC(一般社団法人札幌青年会議所)とかも巻き込みました。行政主導というより、現場の自発性で会場が増えていく感覚があって——そこはユニークだと思います。
2022年のNoMapsのコピーは、「楽しくなければ未来じゃないだろ」でしたね。
印象に残っているエピソードを教えてください。
総合プロデューサー2年目の2023年ですね。
同時多発的にさまざまな会場が動くので、もうずっと自転車で各会場を回っていたんですけど、2023年は道路を封鎖して歩行者天国にする“ホコテン”でNoMaps SPORTSやLGBTQのパレードのレインボープライドがあって、大通公園では高校生や大学生中心に社会実験を展開、テレビ塔隣のNHK跡地では人工雪を降らせてスノーボードイベントが。
地下歩行空間や他の会場でも、いろいろ企画が展開されてて。中島公園ではスカイランタンも上がったり。
自転車で回りながら、「これ、まちの風景をNoMapsが変えている」って、ゾクッとしたんですよね。NoMapsが街中で蠢いている感じ。あれは鳥肌が立ちました。
NoMapsの「出会い」は、どんなふうに起きますか?
毎晩開催されるミートアップはもちろん、カンファレンスで出会ったり、ボランティアに参加している同志だったり、NoMapsフライト(NoMaps行きの貸切フライト企画)で席が隣だったとか、もう “無限にある”って言いたくなるくらい、多種多様。
ビジネスマッチングだけじゃなくて、高校生や大学生が、社会とか、まちとか、企業に興味を持つきっかけになってきているのも嬉しいです。
昨年(取材時点)、ミートアップで札幌の高校生に「名刺交換してください」って言われて、「NoMapsに参加したおかげで自分も何かやりたい!とジェットパックを作りはじめて、最近3000万円出資してもらいました」って聞いて、さすがに驚きました。
オフラインで集まる価値は?
乾杯できること。やっぱ僕たちは動物だから。
会って話すときも、聞くときも、熱量が違う。リアルだからこその偶然性とか身体性って大事だと、コロナを経てみんなが再認識していると思います。VRゴーグルで街を歩いてても、ゾクゾクしないじゃないですか。

言葉より先に、身体的な記憶を
10年後のイメージはありますか?
10年後なんてわかんないですよね。10年前に今を想像してなかったし、想像する術もなかった。
だから、続くことを目的にしなくてもいいんじゃないかって思ってます。続くための仕組みは考えた方がいいけど、そこに縛られるとしんどくなる。
毎年、その年のチームが「これ、やりたい!面白いよね!」って思うことをやり続けることが大事だと思ってます。
今後のNoMapsに足したいものはありますか?
踊りと音楽!!!
もっとフィジカル的なもの。踊りでも神輿でも、走るでもいいけど、誰もが気軽に参加できる身体的な何かが根付けば、NoMapsが本当の意味で”お祭り”になっていく気がします。
言葉より先に、身体的な記憶。そうすることで、ビジネスになるからNoMapsに参加するだけじゃなくて、より、まちと接続したカルチャーのようなお祭りになっていくんだと思います。
次世代には、どう関わってほしいですか?
「NoMapsをよろしく!任せた!」って感じです(笑)。どんどん新たな若いメンバーにNoMapsを活躍の場として使ってもらえたら嬉しいです。
僕個人としては、いちプレイヤーとしてコンテンツを作る側として、裏NoMapsのようなことを、勝手に面白いことやってみたい気持ちはあります。
あと、もっともっと、まちを染めたいんですよね。トマトまつりみたいに「この期間、札幌のまち真っ赤だよね」ってなるくらい。色は毎年変わってもいいし、飛行船が飛んでたり。毎年この5日間だけは街中の景色が変わる。
NoMaps期間はひともまちもみんなが新たなチャレンジをするっていうのが、毎年のお約束になったらめちゃくちゃ面白いんじゃないかと思っているんです。
それぞれの世代に役割があるのもお祭りには重要ですよね。その背中に憧れて、また次世代が新たな歴史を作っていくという。となると、大変。よろしくなんて言いながら、先にそういう背中を見せなきゃですね。
インタビューを終えて
普段まちを歩いていて、ゾクッとする体験にはなかなか出会えない。NoMapsが開催される5日間はゾクゾクが溢れている。そんなハレの日を彩り、お祭りにしてきた五十嵐氏だから「身体性を伴う体験」に対して重要性を感じているのかもしれない。
この先10年間で、NoMapsは私たちにどのような驚きを提供してくれるのだろうか。いや、もしかすると、その驚きを私たちは一緒に作っていくかもしれない。そのような求心力を終始感じるインタビューだった。
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