「フラット化」こそがNoMapsの基盤──時空間の凝縮が生む水平的な交流
山本 強
北海道⼤学名誉教授
1953年夕張郡長沼町生まれ。北大大学院工学研究科修了後、富士通、北大工学部、同大型計算機センター、同大学院工学研究科などを経て現在北大名誉教授。大学生から会社員の時代がマイクロコンピュータ黎明期、助教授時代がインターネット黎明期、教授時代が大学発ベンチャー黎明期と時代の波に翻弄され続ける。
専門は情報メディア学、特にコンピュータグラフィクス、デジタル信号処理など。

記事のハイライト
課題を持つ者と解決する者ー水平的な出会いの場ー
知ることで顕在化する課題と当事者意識
「らしさ」を持続可能にする収益モデルの構築
課題を持つ者と解決する者 ー水平的な出会いの場ー
立ち上げ当初のNoMapsへの印象を教えてください。
私はNoMapsがスタートする前から、SXSW(サウス・バイ・サウスウェスト)やSLASH、Tech Open Airなど海外のテック系イベントに参加してきました。だからこそ「こんなイベントが札幌にもあったらいいな」という気持ちがずっと心のどこかにありました。
ただ立ち上げには資金や組織が必要なため、大学という枠組みのなかでは継続的な実施は難しい。”やりたいけどできない”という状態が続いていました。
そこに立ち上がったのがNoMapsでした。
最初の5年間は札幌市の予算措置があり、人・場所・資金という3つのベクトルが揃って、一気に動き出した印象があります。これまでの10年の間、コロナ禍という大きな逆風もありながら、独立採算を模索し、イベントを続けてきたことは本当にすごいことだと思います。
予算措置が7年間で終わった後も、イベントが続いているのはなぜだと思いますか?
「NoMapsらしさ」が生まれたことだと思います。
どんなイベントも最初は既存のイベントのまねっこでいいんです。背景にあるカルチャーや地域特性が違えば、自然とその土地ならではの特徴が立ち上がってくるものです。
海外のイベントを例に上げると、SLASHは技術主導のビジネスの場、SXSWは文化イベントとして多様な人が集まり議論する場になっています。
そしてNoMapsの特徴はというと、「フラット化」にあると私は思っています。
NoMapsは、社会や地域課題を抱える側と課題解決の技術やアイデアを持つ側の双方が水平的なアプローチができる仕組みがつくられている。従来は国から自治体、自治体から企業へという縦の関係でしたが、NoMapsでは問題を抱えている側と解決する側が対等に意見を交せる場がある。それがNoMaps独自のムーブメントなのかなと思います。

知ることで顕在化する課題と当事者意識
10周年を迎えたNoMapsですが、10年前にはなかった光景はありますか?
10年前も、今も、僕たちにとっては産学官のセクターを超えて議論し合うことは当たり前の光景です。毎日がNoMapsのような感覚。しかしNoMapsによって「産学官の混沌とした交流」がさらに多くの人の当たり前へと裾野を広げたように感じています。
多くの人の毎日は仕事や課題に追われることで終わってしまう。しかし技術や経験を持つ人との出会いによって驚くほど簡単に解決してしまうことも。しかしそんな偶然の出会いは日常ではなかなか起こりません。
僕はイベントを開催する価値は、「時間と空間の凝縮」にあると考えています。普段は交わらない人々が、場所と時間が限定されたイベントによって出会うことができる。ある人の課題の解決策と、ある人が持つ技術の使い道が重なる。そんな場所が地域のなかにあるというのは素晴らしいことだと思いますね。
そんな出会いや交流が地域社会にもたらした変化はありましたか?
今までこのようなイベントはたくさんありましたが、テレビから情報を得るような一方通行のものが多かった。しかしNoMapsは参加者自身も当事者として、「意見を持つこと、行動することをしてもいい」という空気がある。会社や組織でなくても、個人同士集まってなにかやり始めたっていい。普通の会社員が、最初はオーディエンスとして地域や社会の課題に触れ、地域の実践者となっていく。そんなスタイルが札幌に定着してきているなと感じます。
NoMaps自体は課題を解決する機能ではありません。
ですが垂直的で主従関係のあるプロジェクトではなく、全員が当事者として水平分業構造となるプロジェクトを立ち上げる「場所」として機能していけばいいなと感じています。
著名なイベントのように権威あるイベントを目指すこともあったかもしれませんが、権威だけに縛られると、歴史ある京都や東京に比べて北海道は不利になる。「地方」と「中央」という言葉がありますが、すべては「地域」です。本来「地域」は水平な関係であるはず。
関東地域・関西地域とはちがう、北海道だからこそのやり方や可能性があるはず。その自覚を持ち、模索をつづけていきたいですね。
3次元的に凝縮された空間にNoMapsがなっているということですね。インターネットやインフラが整備された現代ならオンライン開催でもいいのではという意見もありますが……
「知らないことは見えない」んです。情報はインターネットにあっても、知らないことはあっても見えないのと同じ。
ぼくはフィンランドで1か月ほど仕事をしていたことがあるのですが、オーロラを見たことがなかった。死ぬまで一度は見たいとこないだラップランドへ渡りました。
それでも見つけることができず。もしかしたらと思い、写真を取ってみたところちゃんとオーロラがはっきり写っていました。僕が薄い雲だと思っていたものが実はオーロラだった。面白いもので、「あれはオーロラだった」と認識した瞬間から、同じ景色なのにオーロラに見えるようになりました。
本物の認知とは、自分で見たこと、経験したことで初めて成立するんだと思います。人間もAIの学習と同じで、そうしてディープラーニングするんです。
社会問題も同じで、認識してはじめて問題化することが多い。例えば北海道の冬の交通問題は、北海道の人にとっては当たり前のことでだれも問題とは思っていません。でも「問題である」と聞いた瞬間、当たり前が問題へと変わるのです。

「らしさ」を持続可能にする収益モデルの構築
NoMapsがさらに10年続いていくために挑戦すべきことは何だと思いますか。
NoMapsをこれからも続けていきたいという人はおそらくたくさんいるはず。
継続させたいすべてのプロジェクトに言えることですが、継続させるには資金と行政的な協力をいかに安定させていくかが今後の課題だと思います。 企業の事業開発や社会投資の一助となり、資金を援助してもらえる関係を作れることが理想ですが、なかなか難しい。
SXSWやSLASHなどの海外イベントも最初は手探りだったそうです。それでもなお現在も成り立っているのは、ある段階から法人化して収益化させていったからだと思います。
NoMapsも今年で10年目。そろそろ収益モデルを構築できたらいいなと思いますね。
最後に、NoMapsを通して叶えたい光景があれば教えてください。
課題を抱える人や組織、技術やアイディアを持つ人や組織が当事者としてNoMapsに参加するスタイルが定着してほしいです。私はITに近い側で異分野のコラボレーションや課題解決の取り組みに関わってきましたが、たいていのプロジェクトは課題側と技術側のどちらかが主体的で、もう一方はそれについていくという感じで取り組んでいるように感じることが多かった。
”全員が当事者であり、対等”。
そんなプロジェクトを生み出す機関がNoMapsなのではないでしょうか?
インタビューを終えて
「課題と技術が対等にぶつかる」「垣根を超えた混沌とした交流」といった、10年間で自ずと生まれたNoMapsらしさ。NoMapsは、多様な人々が時と場所を同じくして集まる「場」としての機能を持続させなければならない。多くの人が望む「場」で在り続けることが、次の10年と地域の可能性を拡げると信じたい。
HOME